名品過払い4金

ドミニオンの話

言葉の話

これを書き始める前の8500字は全て消去しました。

 

理由は、書きたいことを私が書けないほどに書きたい形で書いているブログの存在を思い出してしまったことが1つ。

 

もう1つは、8500文字の距離を登って、そろそろ峠に至るかと言うところで、おそらく上から見える景色と、下り坂を一気に滑り落ちる感覚がそんなに良いものではないということを察してしまったからだと思います。

 

たぶん面白いことっていうのは自分がとても好きなことかとても嫌いなことについて語ると生まれると思うんですが、その8500字はただただもったりしているだけでちっとも面白くありませんでした。

 

なので、これなら軽やかに書いていけそうだなぁという内容を選びました。

前置きが長くなりましたが、現在12/9 95:03 株式会社零狐春の再演より帰宅してから裏体験型イベントアドベントカレンダー記事、書いていこうと思います。

 

www.adventar.org

 

『言葉の話』

 

 

私が常々強く思っていることとして、『人は皆、それぞれ違う言語を使っている』ということがあります。それはそれは当然なことなのですが、今回はそれについてつらつらと書いていきたいと思います。

 

わたしが暑いから半袖短パンで過ごしているのにあなたは薄手を羽織っていたりするので、『暑い』という言葉に万人がまったく同じ感覚を当てはめているとは言えないと思います。

しかしながら、暑い寒い痛い重い冷たい気持ち悪いなど、実際の感覚を伴う言葉だけでなくもっと抽象的な言葉についても同様なことが言えると思います。

 

この『体験型イベントアドベントカレンダー』という企画にそぐう言葉を1つあげるとするならば『面白い』という言葉でしょうか。

わたしの面白い、とあなたの面白い、が全く同じであるということはおそらく絶対にないでしょうし、わたしにとって面白いこと、とあなたにとって面白いこと、が全く同じであることはおそらく絶対にないでしょう。

時にはその感覚のズレによって新たな発見が生まれたり、逆に埋めがたい溝が出来たりします。

 

そう、言葉の持つ意味のズレは議論や疑念を生みます。逆にいうなれば、議論をしたり疑念を検討するときは、その当事者たちの、その場面でクリティカルな言葉に対して持っている感覚や認識のすり合わせを行うことが重要であると言えると思います。

 

しかし、多くの場合そうしたすり合わせは残念ながら満足に行われていることはないと私は感じます。それはきっと仕方のないことだと思いますわたしとあなたの『××』のどこがどのように違うのかしら、きっとここがこう違うのだわ、ああそうに違いない、じゃあそれで話をすすめていこう、いやまってでもこうなったときにそれでは説明がつかない・・・。こんな風に、糸と糸をこすり合わせようとするかのように細かいすれ違いが永遠に続くことでしょう。

 

ですがそれを私は無意味だと思いません。そうした要領を得ない途方もないやり取りを続けることで生まれるものはそう多くはないでしょう。きっと期待値で考えたらそんなことせずに『一般にそうとされている言葉』あるいは『力のある人間が放った正しげな言葉』をとりあえず共通認識として話を進めていくのが合理的です。し、この手法は多くの場所で用いられて一定の成果を上げているのを私も何度も目にしています。ですがそれを私は無意味だと思いません。

 

なぜなら、その人の発した言葉はその人だけのものであり、いわばその人の『半身』のようなものだからです。『言霊』という言葉もありまして、そっちのほうがしっくり来たりすることもあるでしょう。

 

突然ですが、私は生まれてから今までに『自分が、自分の人生の主人公である』と認識している度合いがほかの人よりも格段に低いのではないかと思います。

私はゲームも漫画も小説も好きですが、概ね主人公というのは私にとって架空の物語に出てくる英雄的中心人物であり、決して移入の対象ではありませんでした。言い換えるなら『主人公』というロールは私にとっては『どこか別のだれか』であるという感覚がとても強いということになります。

 

このような背景を以ってすると、私にとっての『主人公体験』という言葉は『架空の英雄の文脈を忠実に演じ切ること』という意味を多分に含んだものとなります。

(ここにきての注釈なのですが、今回の記事で辞書的意味や定義などというものはほとんど参照していません。その理由や無意味性はここまでの記事を斜めにでも読んでいただけていればなんとなくわかっていただけると思います。)

 

このような非主人公意識がどのような経験から、どのような学習から形成されたのかはわかりません。心当たりがあるような、ないような気がします。ただ確実なのはこのような非主人公意識が23歳の自分になっても根付いているということは、これは大事な自分の内面の一部分なのであり、そのフィルターを通して出てくる言葉はその存在をまとった大事な自分の一部分なのだと思います。

 

ここまでを通して私が言いたかったことは決して「もっと他人の言葉に敏感になれ」ということではありません。そうあってくれるともしかしたらもう少し生きやすくなるかもしれないし、生きにくくなるかもしれません。

 

私が言いたかったことは、、、必ずしも今までの記述から導き出されるものではないかもしれなくて、ただの言いたいことなのかもわかりませんが、、、そのことを『知っておいてほしい』ということです。人には人の言葉があって、その言葉は一つ一つが大切なものなのである、ということを『知っておいてほしい』ということです。別に、知ったうえでそれを無視しようが踏みにじろうが丁重に扱おうが、あとはあなたとわたしの相性の虫の居所の問題なので、どうしようもありません。

 

ここまでは私が言葉について思っていることの一端を書いてみただけのことです。やはり論評調で書いていくよりぱらぱらと適当に書いていくほうが当然ながら書きやすいですし気分が良いです。

 

ここからは少しずつ『体験型イベント』の話に寄せていきたいと思います。

 

唐突ですが、ここで言葉を2×2の4種類に分類してみたいと思います。ここで用いられる『言葉』という言葉はなんとなく言葉って感じで使っています。僕は人が用いた言葉の意図についての配慮は忘れないようになりたいですし、自分がこうした場でなげかける言葉の意図についてはできるだけ明確にしたいところですが、それが自分を強く制限することも理解しているので、こうしてあえて雑に言葉を扱うことも特に気にしていません。

 

話がそれました。言葉を2×2の4種類に分類します。

1つ目の軸は『意識的であるか否か』

2つ目の軸は『込められた意図がその言葉の形にふさわしいか否か』

です。

 

1つ目について。これは自分の意図で言葉が発せられたかどうか、理性と衝動みたいな意味とは少し違っています。ここでは『自分が発した言葉の意味について、自分で深い説明ができるかどうか』という意味です。言い換えるとちゃんと中身が伴っているかどうか・・・正確には、自分でちゃんと中身を込めているかという意味になります。厳密な定義とか分類とかケースを持ってこられたりすると困っちゃう場合があります。この部分ではかなりが筆が止まりました。ここで何十分か考えていてもいいのですが、流石に12月9日100:00より前には記事を挙げたい気持ちがあるのでこの程度にしておきます。

 

2つ目について。これは1つ目よりも億倍わかりやすくて、説明が不要なレベルな気がしてきます。要するに、含意や意図や暗号や通しや無言の圧力があるかどうか、もっと乱暴にするなら正直かどうか、です。

 

なぜこのような切り分けをしたかというと、僕が嫌いなタイプの言葉に関する話をするためです。こんな荒い切り分けで『嫌い』という感情の端っこですら語るのはちょっとどうかな?と思うのですが、自分でわりとストンと落ちたのでこの形で行きたいと思います。

 

僕が嫌いなタイプの言葉は『意識的に、言葉の形にふさわしくない言葉を使う人』です。4つに分類といっておきながら、これに加えて『ネガティブな』という接頭辞が付きます。別の表現をするなら『直接ハッキリ言わない人』です。うじうじしてるやつが嫌い、というわけではありません。自分のことはそこそこ好きです。『汚い感情を、清く力きれいな言葉で包んで伝えてこようとする人』のことです。めんどうなことを人に押し付けるときの『頼りにしてるよ』とかです。

(ポジティブなそれっていうのは多分短歌の上手いやり取りとか、相手にばれないように意図を通すというか、とにかくクレバーな感じになると思います)

 

ここで敢えて『意識的であるか否か』などといったちょっと回りくどい表現を使った意味が出てきて、この言葉がたぶん伝えたいニュアンスを適当に伝達してくれると思うんですね。罪悪感からくる『頼りにしてるよ』ではなくて、『俺は面倒だからやりたくない、だからあいつに押し付けようと思うんだけど、どうせなら体よく押し付けたい』のときの『頼りにしてるよ』です。何が嫌いかって、体よく押し付けられていない浅はかさとかが嫌いです。外面よく見せようとしている、ということを察せられている時点で非常に阿呆だなぁと思います。キレイに隠すか、へったくそに押し付けてくれたほうが良いです。

何より嫌いなのが、人間には人間関係とか事情という困った概念がありまして、その諸処の兼ね合いから仕方なくあなたの提案を受けたときの『お前は物分かりが良くて助かるよ』みたいな感覚です。これ、個人的には僕だけの被害妄想ではなくて同じようなことを感じたことがある人って結構いると思うんですよ。『復讐は何も生まないだろ!!』っていう主人公のセリフに『何かを生もうしないどころか、何かを奪い取るための復讐でしょう?その辺の意識の違いがあると思うんですが』とか思っちゃうタイプの人ですね。

 

嫌いなものを語ると、どちらかというと自分以外の人が沈んでいくことが多い気がしますので、この辺にしておきましょう。

さて、今回フォーカスするもう1つは・・・の前に、割とどうでもいいやつに言及しておきますね。

 

意識的に、言葉の形にふさわしい言葉を使う人。正直な人とか性格のいい人とか、あと逆に極悪人とかこれじゃないですか?大人物にはこういう人が多いと思うし、偉人として崇め奉られるのに必要な条件だったりするのかと思います。

 

無意識的に、言葉の形にふさわしい言葉を使う人。

最初のほうに書いたように、私は (私を含めて) 人々は言葉の持つ意味の差異について無頓着すぎる、と思っている節があります。そうするとたいていの人はこれに分類されるんだと思います。

 

さて。

 

ここからやっと体験型イベントの話っぽいことをします。

 

無意識的に、言葉の形にふさわしくない言葉を使う人。

これって、どういう人なんでしょう。すぐに思いつくあたりは無知な人。勘違いをしている人。理解の浅い人。間違っている人。要するに『その言葉を使うにあたって必要な知識や前提を欠いた状態で、その言葉を使っている人』と統合してもよいかと思います。ちょっと乱暴ですが。

それで、このような言葉の代表例として私が真っ先に思いついてしまうのが、

 

『ストーリー性がよかった!!』『没入感がすごかった!!』

 

こういった類の脱出ゲームの感想です。

(リアル脱出ゲームに限りません、でいいと思う。)

 

私が冒頭で述べた『8500文字までの上位互換』のブログとは、三月さんのこちらのnoteになります。

 

note.mu

 

私も『リアル脱出ゲームのストーリーって面白くないよなー』と常々思っていて、それに関してぼんやり考えたりしたこともあったのですが、こちらの記事は"ストーリー"と一つの言葉にされた概念を上手いこと分解して主張に落とし込んでいて非常に合点のいく記事でした。同じようなこと考えてる方には一読の価値があると思います。

(三月さん偉そうにごめんなさい。)

 

私はあえてぼんやりとした言葉と、具体的なエピソードの記述のみによって私なりに同じことを主張します。しっかりした言葉のよい例がすでに提示されているから、私がわざわざ言葉のことに心を砕く必要がないからです。私なりの解釈を私なりの言葉で書くことに今回は必要性を感じません。

 

重ねて、僕はリアル脱出ゲームのストーリーって面白くないと思います。より適切な表現として"下手"だという言葉を用います。

私はそろそろ謎解き界隈に所属して3年になりますが、その頃は今ほど"ストーリー性"らしき何かを前面に押し出したリアル脱出ゲームは多くなかったと思います。というか、あるタイミングからそういう作品が増えてきたように感じます。

 

僕は前述のとおり"主人公体験"を"なりきり"だと理解していました。「このゲームはあなたが実際に物語の主人公となって謎を解き、脱出を目指すゲームイベントです」という記述も手伝って、私はストーリーを前面に押し出し始めたころはリアル脱出ゲームを"なりきって謎を解ける場所"だと理解して、そうした意識を以て参加していたことがありました。しかしそうして何回か参加して理解されたことはいくつもあって、得られた結論は『SCRAPはなりきりの場としてのリアルを提供するつもりはない』ということでした。

 

すごく直感的な感想になるのですが、あとそれなりの貶めが入るんですが、そこはかとなく映像がダサいんですね。そういったことは素人だし自分に審美眼があるとも思いませんが、少なくともセミプロであるMagicPenくんの動画と比較すると数周りも下に落ちるなぁと思いました。あと、脚本?話の流れ?が雑。『流れてさえいればよい』という印象を受けました。以前SCRAPの加藤さんから『どこかで見たことあるようなシチュエーションに放り込まれるって燃えるやん』という言葉を拝聴したことがあったような気がしました。確かにありがちでアツいシチュエーションですが、その"シチュエーションがあるだけ"でアツくなる文脈が用意されていなおように感じました。

 

私を前述の結論に導くに至ったのは『宇宙怪獣からの脱出』と『海底監獄インペルダウンからの脱出』のEDムービーでした。この2作品はまだネタバレ解禁していないような気がしたので具体的なことは延べません。が、私はあえてこの強い言葉を使いますが、この2作品のEDムービーが嫌いです。なんじゃそりゃ、って感じです。決定的に"参加者はストーリーの内での主人公である必要がない"ものでしたし、オハナシとしても、ただなんとなく観客が喜びそうな展開を置いただけという感じでした。

 

その他細かいこともいくつかありましたが、以上のようなことを経験して私は、脱出ゲームイベント制作に関しては間違いなくプロであるSCRAPの映像や脚本がここまで面白くないということは、この部分は、ひいてはそれによってもたらされる体験というのはSCRAPが提供したいものではないのだなと結論付けるのでした。

 

長くなりましたが、要するに私は『リアル脱出ゲームのストーリーは面白くないし、おそらく特別面白く見せようとしても作っているわけではない』と思っているわけです。"あの謎を解いた時の興奮があなたにも訪れますように!"とあるように重要視されているのは限られた条件の中で一生懸命謎を解くことによって得られるドラマ体験です。"物語の主人公"とは、"この60分の謎解きゲーム中における主人公"のことです。

また、誰の記事か忘れてしまいましたが、『物語に入り込むための媒体として、謎解きは向いていない』(クリエイテッド謎システムあたりの話かな?じょの?)という話にも一理あります。

 

そんな私からすると『ストーリー性があったよかった!!』『没入感があったよね!!』という感想に対しては『ほんまに?』とならざるに入られないのです。

ストーリー性が"現実世界の60分の"ストーリー性を指している可能性もありますし、没入感というのがギリギリで謎を解いた高揚感を指している可能性もあります。

 

"""指している可能性もあります"""

 

そう、この思考ですよね。彼ら彼女らが『ストーリー性』『没入感』と呼んでいるモノはもっと別の適切な言葉を用いて説明されるべきものなのではないかと思うわけです。

別に、彼ら彼女らが感じたストーリー性と称されるものを否定するつもりは毛頭ありません。ただ、それはおそらく本来別の言葉の形で表現されるべきモノで、そうした方が伝わりやすいし理解しやすいと思うのです。感想というのはその人の口を出た時点で8割満足を残すので別におせっかいをかける必要はないのですが。

 

冒頭から何回か述べているように、人は皆違う言葉を使っており、その差異の存在にできるだけ留意すべきだとしている僕にとっては、どうしても気になってしまう事象なのでした。

 

 

もう少しだけ続けてみたいと思います。

仮に、彼ら彼女らが本当にリアル脱出ゲームにストーリー性や没入感を感じていた場合、僕の感覚が著しく狂っていた場合、これはもうどうしようもないのであとで矯正してください。

そうでなかった場合、のことをちょっと考えてみたいと思います。

彼女らの感情に『ストーリー性』『没入感』(に限りませんが) という、言ってしまえば不適切な名前を付けたのは一体なんなのでしょうか?

 

言葉の「受け手」と「話し手」について少し考えてみたいと思います。

例えば、とってもかわいい女の子が顔を赤らめて「・・・ばか」と小さな声で言ってきたとしましょう。

男女問わずかわいい女の子で行きましょう。女性はかわいい女の子を愛でるいきものらしいので。

 

まぁ僕は男なので、言われたとして考えます。

純真無垢な私としては少なくとも悪い感情は抱かれてないと考えてしまうでしょう、もしかしたら少なからず好意も抱かれているのかもウェヒヒなどと考えるでしょう。

しかし女の子からしたら単純に何か恥ずかしいことがあって照れ隠しで言っただけで、別に好意とかそういうのはありませんでした。よくあることです。

これは『受け手の失敗』と言ってもいいのではないでしょうか。女の子のかわいさが私を惑わせたとはいえ、ありもしない想像から間違った判断を下しています。私が勘違いした責任の多くは私にあるといってもいいかもしれません。

(ここまで書いて嫌な予感がしてきましたが、これってもしかして適切なたとえじゃない?かわいい女の子は文字列だけで人の心を惑わすのでしょうか)

 

ちょっと状況を変えてみます。

私のほうは同じく勘違いをしています。

しかし女の子のほうは本気で私を罵倒するつもりで、そのつもりがあるということを伝えようとする意図も以て発言しています。殺意すら抱いているかもしれません。ぞっとする話ですね。

さて、これは先ほどと同じく私の失敗なのでしょうか。

なんか本当に適切なたとえになってるのか不安になってきましたけど、おそらく先ほどと違ってこの伝達齟齬の責任の多くはかわいい女の子のほうにあるような気がしないでしょうか、してくださいね。

これは『話し手の失敗』と言ってもいいのではないでしょうか。

 

要するに、伝達齟齬が起きたとき、その主な原因は受け手と話し手のどちらにもありうるといことです。長々ひっぱたわりに当たり前の結論ですが、重要なことです。

 

何が言いたいかというと、『ストーリー性』『没入感』という言葉によくわかんない意味を付与したのは話し手である『SCRAP』なのか、受け手である『参加者』なのか、そして伝達齟齬があったのはどこなのか、という話をしたいわけです。

 

(参加者に対する話し手は別の参加者でもあり得ます。が、根っこを辿っていくと始めてそのような感情をSCRAPの脱出ゲームに喚起させられた最初の参加者がいるわけで、そうなると話し手をSCRAPにしてもよさそうな気がしてきます。)

 

私は、伝達齟齬はやはりここで起きているような気がします。

何度もここを確認してきたかいがあったような気がしてきます

"このゲームはあなたが物語の主人公になって~~~~"

 

僕は結構上のほうで『リアル脱出ゲームは物語の主人公を演じるタイプの主人公体験を提供するエンターテインメントではない』と結論付けました。しかしこの書き方、"あなたが物語の主人公になって"という書き方だと誰だって"なりきり"的主人公体験を想起するではないか。

 

ゲーム上のドラマ体験を重視するリアル脱出ゲームが、そのゲームを説明するリード分として物語上のなりきり的主人公体験を想起されるものを用いているせいで、現実的な刺激や高揚感が原因の感情を、"ストーリー性"や"没入感"という言葉で表現してしまっているのではないか。

 

これは明らかに、『話し手の失敗』なのではないか?

 

 

 

色々書きましたが結論としては、SCRAPさん、あるいはほかの謎制作団体さん、あるいはほかの人間。もうちょっと言葉を大事に扱ってあげてください。適切な言葉でしっくり表現するだけでスムーズにいくことが沢山あるような気がします、っていう話でした。

 

 

ふぅ。一区切り付きました。さらさらーっと書き流してみましたがどうなんでしょう。あー眠いとはいえ書き流すって表現はちょっと違う気がします。眠い。

このまま推敲もせずえいやと投稿するつもりなので、どうにか通った話になっていればいいなぁと思います。そんなわけで、長い長い12/9に終わりを迎えたいと思います。

 

本当の意味で乱文だと思いますが、ご容赦ください。

読んでくれた方はありがとうございました。